ヨガで心をととのえるシリーズ⑮
こんにちはクォンタムアイ 東京 のみなもです。
現代の私たちにとても馴染みのあるヨガですが、
その教えはヒンドゥ教徒の間で最も敬われている聖典の1つ、「バガヴァット・ギーター」から数多く引用されています。
約2000年前に成立されたとされるヨガの根本経典「バガヴァッド・ギーター」、サンスクリット語でバガヴァットは神、ギーターは詩とされますがバガヴァット・ギーターには、私たちの人生をより素晴らしいものにしてくれる古代賢者のさまざまな智恵が記されています。
最高の主は万物の中に等しく存在し、万物が滅びても滅びることはないと見る人、
彼は(真に)見るものである。
『バガヴァット・ギーター』13章27節
『バガヴァット・ギーター』に登場するクリシュナ神は、ヨガは平等の境地だと説いています。
たとえ高貴な聖職者であっても、乞食であっても、動物であっても平等です。
物質的な視点から物事を見ると、私達は、見た目や社会的地位などで相手を評価してしまいますがヨガの境地を極めた人は、生命の内側にあるアートマン(自己)を見ると言います。
人々は優劣を付けて周りの人と自分を評価します。その価値観にとらわれている間は、いつまで経っても幸せに気が付けないでしょう。
しかし、本質を見るようになると、自分のなかにも、他の人のなかにも、平等に存在する絶対的なアートマン(自己)を感じることができます。
自分の中にも他者の中にも道端の草木にも神が宿っているのです。
自己を感じることで気付いたこと
私の話をしますね。
以前、勤めていたバイト先で、全くもって冷ややかな態度の方がいました。
結局、最後まで理由は分からなかったのですが、顔を合わせてもいつも素知らぬ顔、挨拶は愚か、会釈一つしてくれませんでした。
その当初は、その方と同じシフトで入りたく無いなぁと、憂鬱に感じ、いっその事辞めてくれればいいのにとさえ思っていました。
ヨガの仕事を始める為、一年程勤めたそのバイトを辞め、それから数年経った後、この言葉を知った時に思いました。
私の中にも自己が有るように、その人の中にも自己があったのでしょう。出会う全ての人と仲良くならなくても、相容れないものが有る人が居ても良いのかもしれません。そして、そんな相手の態度に自分がブレてしまう必要はないのでしょう。
その人がどのように反応するのかは問題じゃない、ましてや相手を変えようとする必要も無いのです。大切なのは自分がどう有るかということ。
ただ、相手の存在を認めて受け入れればいい、そうした時にブレない、穏やかな自分でいられるのではないでしょうか。
そこに存在しているもの、全てに存在の理由が有って、優劣は無い、それを知った時、自分を含めたすべての存在に愛を感じることが出来るのでしょう。
富澤