ヨガで心をととのえるシリーズ⑲
こんにちはクォンタムアイ 東京 のみなもです。
ヨガの本来の目的は、心と体、魂が繋がっている状態にして「悟り」を開くことです。
この悟りを目指すために、賢者パタンジャリ先生は《ヨーガ・スートラ》というヨガの教科書を書かれました。
《サンヤマ》
ヨガには《サンヤマ》という言葉があります。
ヨガの教科書の中でヨガは8つのステップ、(ヨガの八支則 : ヨガを実修するための8つの段階・行に)分けられていますが、後半の3つ、ダラーナ(集中)、ディヤーナ(無心)、サマーディ(三昧)、この3つをまとめてサンヤマ(統制)と呼ぶことがあります。
《サンヤマ》は具体的に言うと、ある一つの対象に対して非常に強く意識を集中する事、意識を集中し続ける事でその対象の全てをコントロールできるようになる、ということです。私たちが日常生活の中でコントロールしたいと願うもの、色々あると思います。
例えば電車、一番最初に乗った時の事を思い出してみてください。非常に緊張して集中していなかったでしょうか。何処の駅で降りれば良いのか、乗り過ごしてしまわないか、と、非常に集中して神経を張り巡らせてはいませんでしたか?
でもそれを続けていくと、段々と慣れてきて、最後には何処の駅にも自由自在に、地下鉄でも何でも乗りこなせるようになるわけです。
発見までの道のり📝
偉人と言われるエジソンが電球を発明しようとした時、最初、フィラメントとなる物質がなかなか見つからなかったそうです。何百回の実験を繰り返しても中々見つからない、でも彼は集中し、実験し続けました。それでも発見することが出来ず、それを見かねた友人が『どうして何度失敗しても実験を繰り返すのか?』と質問したそうです。エジソンは『失敗しているのではない、フィラメントとして適さない物質を発見し続けているんだ!』と答えたそうです。
そして、何千回もの実験の後、最終的に彼は日本の地下からフィラメントとなる物質を発見し、電球を発明するのですが、電球というもの、光というものを自由自在にする為に集中し続けることが必要だと分かっていたのかも知れません。
集中力から生まれる力✨
私の話をしますね。
幼少期、運動が好きではありませんでした。今でこそ身体を動かすことが大好きですが、幼稚園の頃は運動オンチで鉄棒も、雲梯も、走ることも苦手でした。
そんな時、見かねた両親が補助輪付きの自転車を買ってくれました。補助が付いていたので勿論転ぶことはなく、暫くは近所の友達と乗って遊んでいました。初めは皆、補助輪付きの自転車を乗っていた友達も、段々と補助を外し出します。小学校に入学する頃には皆、補助輪無しの自転車を乗り熟すようになっていました。運動オンチの私だけ、外すことが出来ず、恥ずかしさもあって、そのまま、いつしか自転車には乗らなくなっていました。
友達と、どうしても距離のある場所に行く時はちゃっかり後ろに乗せてもらう(当時は二人乗りが大丈夫でした)ことで対応していました。
自転車に乗れないまま、小学校3年生になった時、夏休みにサイクリングも兼ねて多摩川にキャンプをしに行こう!という案が仲良しの友達同士で持ち上がりました。当然、サイクリングとキャンプとなると荷物も多くなるし、二人乗りでは厳しい、自転車に乗れない私は参加出来なくなる訳です。でも、どうしても行きたかった私は一人で練習しようと決めました。家の前の一本道は私道でしたが昼間は人通りもそこそこあります。人に見られるのが恥ずかしかったので、早朝、早起きして一人で練習しようと思いました。転んでも痛く無い様に長袖にジーンズ姿で、家の裏に置いてあった母の自転車を引っ張り出しました。
壁に左手を付いた状態で自転車に跨り、怖がっていてはダメ、とにかく最初の一漕ぎを勢い良く踏み込んでスピードを出そう、勢いがあればバランスも取れるはず、と非常に集中し、グンッ!と踏み込みました。勿論何度か転びました。でもその度、跨り直して、集中して力強く踏み込む、を繰り返しました。すると見事に、数分後には乗りこなせるようになったのです。
集中と努力の甲斐があって、皆と行ったキャンプはとっても楽しい時間になりました。
そして今現在も自宅、最寄り駅間はクロスバイクで疾走する事が出来ているのも、あの時の集中のおかげです。
これは手にしたいな、この願いは叶えたいな、と思うものがあったら、集中して取り組んでみる、これが物事をコントロールする、自由自在にしていくためには必要なことなのかもしれませんね。
富澤